「ユトリロ展」に行ってきました
新宿の損保ジャパン東郷青児美術館で開催されている「モーリス・ユトリロ 展」に行って来ました。
ユトリロ好きの母に連れられて何度か絵を見に行ったことがあったのですが、あの寂しげな色彩が好きだったんですよね〜。微妙な空の色とか。
今回、絵と一緒にユトリロの生涯を紹介するパネルが展示されていて、それを読んで納得しました。
なんつーか・・・可哀想だよ、この人。
有名画家のモデルをやっている母*1の私生児として生まれたユトリロは、絵描いたり、モデルしたり、恋愛したりで忙しい母に代わって祖母に育てられました。
この辺はよくみるエピソードですが、
10代前半から飲酒を覚えたユトリロ少年は17歳にしてアル中になり、入院。
そこで対処療法として絵を描くことを薦められて、描き始めたそうです。
が、皮肉なことに、
彼の絵は酒代を稼ぐ道具となりました。
・・・せつねぇ。
つーか、誰か止めてやれよ。
その後も、酒飲んでは暴れて警察のご厄介になったり病院に入れられたりを繰り返しながら作画活動を続け(←この時代に描かれた絵は「白の時代」と呼ばれ代表作になっている)、
普通の街並みを描いている彼の絵は、最初は普通の人にしか売れなかったけど、その内に認められるようになり、
そーするとそれに目を付けた実母と養父が、半ば監禁しながら絵を描かせそれを売り始めるのですよ。
この養父もすごくてね、元々ユトリロの友達だったんだって。しかもユトリロより3歳年下。母がすげーんだか、友達がすげーんだか・・・まぁ、ユトリロにとってはショックだよね〜。お母さんを女神のように思ってたらしいから。
んで、ユトリロを鉄格子の部屋に閉じ込めて*2絵を描かせ*3、自分達は高級なスーツを作ったり運転手付きの高級車乗り回したり、タクシーで犬の散歩行ったり*4。
でもユトリロの楽しみはいっぱいの安酒だけ。
・・・・・・せつねぇ(涙)
つーか、治療になってないよ!
そんな生活を続け、
52歳で結婚。
お、ピカソみたいに若い嫁さんもらったのか? と、他人事ながらちょっと嬉しくなったら、
お母さんの紹介というお嫁さんは12歳年上の未亡人。
しかも元々ユトリロの絵のコレクターだったので、作画に口出すわ、絵の売買取り仕切るは、しまいには自分で書いた絵まで売り出す始末。
この時ユトリロは、1人で外出させてもらえず敬愛するジャンヌダルクにお祈りするか*5、絵を描くかの生活。
私が一番涙したエピソードは、
ユトリロは時たま、高い塀の外に「たすけて」と書いた紙を巻きつけた石を放り投げた。
だが、その頃有名画家として名を知られていたユトリロの直筆サインとして、拾った人は大事に家に持って帰った。
・・・・・・・・・・せつねぇ(号泣)
つーか、助けてやれよ!!
って、一応家庭の問題だからよその人が口出すわけにいかなかったのかな。
それにしてもせつな過ぎるエピソード。
つーわけで、寂しげな画風が判ったような気がします。
ユトリロが描いた街並みってまだ残ってるのかな。
いつか行ってみたいなぁ。